夢追いきのこ

「基本どうでもいいけどたまに深い」をコンセプトに、常にふざけ、時に熱く、きのこの日常で感じたことやふと感じたこと、ときに感じたことや、いつも感じていることを感じるがままに感じる日記

ランドセルが世界を変えるかもしれない

とうとうこのブログもgoogle大先生に認められ、「男子校 きのこ」と検索をすると、一番トップに並ぶようになりました。

これも、皆々様の日ごろの行いがよいおかげです。

この感謝の気持ちを忘れず、日々を過ごしていこうと、心に誓った林です。

 

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●ランドセルを背負う少年

 

さて、本題に。

2011年

山形県には、月に一度、ランドセルを背負いながら高校に通う少年がいた。

片道チャリで40分。

その少年は、世界を変えられると本気で思っていた馬鹿野郎、そう我輩である。

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その少年の脳裏には、ある男性の顔が浮かんでいた。

小学生の時、よく遊んでくれていた親友の父の顔である。

その親友とは、誰も入らないような森に入り、クワガタやカブトムシをとったり、エアガンで通行人を隠れて打つ遊びをしていたり、エロ本探しの旅に出かけたりと、悪行を重ねていた戦友だ。

中学生になった我輩と親友。

親友は中学校の勉強についていけなくなってしまったためか、不登校になってしまった。

我輩は部活をして忙しかったために、彼と遊ぶことはほとんどなくなり、連絡も取り合わなくなっていった。

 

そんなある日。

 

親友の父が自殺をした。

一緒に海に釣りに行ったり、ごはんを食べに行ったり、一緒に花火をしたり・・・

彼とはたくさんの思い出があった。

我輩には、どうしても彼の死を理解できなかった。

理解できなかったし、何もできなかった自分が悔しかった。

 

どうして、自ら自分を殺すのだろう。

 

ずっとその問いと向き合った。

向き合ったけど、向き合い続けたけどわからなかった。

 

これ以上、自分で命を絶つ人を増やしたくない。

 

ただそんな気持ちだけが先行していた我輩は、ある一つ、高校生の我輩でもできることを思いついた。

 

笑わせよう。

 

笑ってるときって、みんな幸せだよな

だったら俺を見て笑ってくれて、なんか生きてみよって

こんな馬鹿なやついるんだから、もっと生きてみよって

明日はなんかいいことあるかもしれないって

思ってくれるんじゃないかなって

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(地元最大のお祭り、花笠祭りの写真)

そう思い、ランドセルを背負い、登下校することにしたのである。

ランドセルにも意味を込めた。

 

初心を忘れちゃいけないよ

小さい時の何もわからずに、なにかにがむしゃらになっていたあの時の気持ちを忘れちゃいけないよ

 

そんな意味を込めた。

髪型は気合を入れ、「サザエさん」に出てくるタラちゃんのような髪型にした。

最近気づいたのだが、タラちゃんは幼稚園児だった。

設定をちょっとミスするのも我輩らしいだろう。

 

これでどのくらいの人が自殺を踏みとどまってくれたかはわからない。

でも山形がちゃっとだけ笑ってくれたのは確かである。

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●ランドセルとスーツ

 

実は先週の月曜日、我輩はランドセルを背負い、ある会社の最終面接に向かっていた。

またあの時の自分を取り戻したい。

そう思っていたのもあるが、ゴールデンウイーク明けの初日だったことが何よりの理由だった。

ゴールデンウイークの次の日は、一番自殺者が多い日と言われている。

 

ランドセルを背負うしかない。

 

もしかしたら社会にムーブメントを起こせるかもしれない。

山形のように、見た人がみんな笑顔になってくれる。

そう信じて、ランドセルを背負った。

 

しかし、実際は山形の反応と東京の反応は違かった。

満員電車の中、スーツを着てランドセルを背負う成人の姿、それはただの変態。

変態に対して東京は非常に冷たく、そこには無関心の海が広がっていた。

我輩はあきらめない。

天才は、99%の無関心と、1%の笑いをとる。 by ダイソン

友人がくれた言葉を胸に、ひたすらランドセルを背負い続けた。

 

母にランドセルを送るよう伝えると、

母はランドセルと一緒に野菜を送ってくれた。

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母親の優しさを胸に、ひたすらランドセルを背負い続けた。

 

はたしてどれくらいのムーブメントを起こせたのか。

 

 

我輩がランドセルを背負うとどうやらおしゃれに見えるようだ。

 

 

●自殺者を0にしたい

 

本来の目的はどうだったのか

確かにその日、我輩が乗った相鉄線東横線では人身事故は起こらなかった。

しかし...

その日の夜、LINEニュースを見た我輩は驚愕した。

中学生二人がその日、自ら命を落としてしまったのである。

www.asahi.com

ただの自己満足に過ぎなかった。

何も変えることはできなかった。

でも、心のどこかで自殺する人はいなくなると信じている自分がいる。

人間だれしもが、自分の人生を、可能性を信じ、自ら命を絶つという選択がなくなる未来。

こんな理想を抱きながら、またこれからもふざけていこうと思う。

 

命は始まった時からゆっくり終わっていくなんて信じない。ぼくが生きる今日はもっと生きたかった誰かの明日かも知れないから。(かりゆし58 さよなら)

 

お前が死にたいといって無駄に過ごした今日は昨日死んだ奴が一生懸命生きたかった明日なんだ (趙昌仁著の「カシコギ」)

 

命は限りあるもの。

だからこそ、何に命を燃やすか、がとても大事だし、自殺する勇気があるのなら、その勇気をもっと自分の命のために使えと、思うのです。

 

まとまらない。

初めてまとまらない。

しかも全然おもしろくない。

 

●まとめ

 

ただ生きろ

 

 

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